夏と自殺
夏休み明けは年間で最も自殺者が多いらしい。
結論から、今やばい感じの人は、身近な人に身の丈を相談し、かろうじてエネルギーのあるうちに休息(休学、休職、退学、退職 etc)してほしい。
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ここ2年弱かな?服用し続けてきた抗うつ薬が7月に服用を終えた。少しは回復できたのかなと喜んでる。薬の主の成分であるセロトニンは、脳内伝達物質をコントロールして、精神を安定させるのがメインの働きらしい。加えて、セロトニンには、代謝抑制の働きが強く、抗ヒスタミン作用で体重増加、食欲増加を促す。
昨年、自分は2022年9月に増量期を迎えた。
減量を終えたすぐとはいえ、2か月で安易に20kgも増加した。それを踏まえて抗うつ薬のパワーを侮れないなと感じた(決して爆食いをしたわけではない)。おかげで美味しいものを食べられたのは2か月間で、12月から減量を始める羽目になった。
さて減量期はというと、まぁとにかく痩せない。コンテストに向けて、多くの選手は脂質を削り、炭水化物の量を長期的に少しずつ減らしながら減量を進める。自分は20kg増えた直後白米を炊いた状態で600g/日で1ヶ月過ごしたが、落ちたのは1kg前後。こんなペースじゃ来年の夏には間に合わない..と絶望しつつ、一層炭水化物の量を落とす減量に切り替えた。そしてもうすぐ今年初のコンテストが始まり、10月末の大会まで低い体脂肪率をキープする予定である。ハードな約1年である。
今現在、自分は自律神経を整える薬と睡眠薬を服用している。客観的に見て健康体じゃない自分がなんで回復を待たずに性懲りも無く大会にエントリーしているのかは自分でもよくわからない。しかし、回復を待ってから思い切り取り組めば良いという考え方も同時に理解できない。
最近、某タレントが自殺をした。精神的に不安定な時期はどのような気の迷いで命を断つのか、本人ですらわからない。自分は今生きているが、ここ2年で某タレントと同じような選択をしていてもおかしくない時期はあったなと振り返る。
とりあえず今生きていることは事実なのである。
「今したいことを今しよう」という考え方が、
鬱を経て自分の中で一層強くなった。
だから、いくら劣悪な体調でも、脂肪を工夫して削いでるのかもしれない。
1年経った。
休職して1年が経った。
そして退職して10ヶ月。
楽になったり、しんどくなったり、
波に揺られるがままの1年だった。
最近はだいぶ波も落ち着き、
少し収束の兆しが見え、
仕事に就いていない現状に対し、
「別にまぁいいや」
と流せるまでに回復した。
進歩である。
しんどい波が来た時は、
道を歩くランドセルを背負った子を見るだけで、
「あんな小さい子ですら頑張ってる、
なのにいったい僕は..。」
道端の働き蟻を見た時には、
「アリですら働いてるのに..。」
そんな感じだった。
今はそんなネガティヴ思考は減った。
そして、5年働いて貯めた貯金を崩し、
毎月いただく傷病手当もふんだんに使い、
赤字承知、破産覚悟で
「好き」に対して費やしている。
特にコーヒーに対する注ぎ込みは惜しみない。
仕事から離れ家で休んでいる自分は、
まるで日本にいながら
人権のない日本人のようだった。
家にいることが申しわけなく、
屈辱的でもあり、
ただ辛かった。
そんな僕に母がコーヒーミルを買ってくれた。
母も僕もコーヒーが好きである。
僕は母に精一杯コーヒーミルで豆を挽き、
コーヒーを振る舞った。
あまり舌に自信のない僕でも、
粉コーヒーはもちろん、
簡易ドリップ式のコーヒーよりも、
格段に美味しいコーヒーを淹れることができた。
そのコーヒーを飲んで母は喜んでくれた。
それが唯一の人権となった。
それからだ。
自分がコーヒーへの理解を深めようと思ったのは。
ボディビルも体調と向き合いながら続けている。
だが、おそらく今年までだ。
一層コーヒーに注力しようと思う。
そんな感じの今を過ごしている。
身体のだるさ
昨年末あたりから仕事が忙しくなり2時間残業をする日も少なくない。その頃からどうにも寝付き、寝起きが非常に悪く、現在は抗不安薬を飲むことでなんとか日常を維持している。
自分にはADHDという発達障がいがある。ADHDの特性、特に注意欠如や集中力の短さなどが仕事で邪魔になることが多い。仕事が忙しくなるとより一層それが目立ち、製品のクォリティの低さをよく指摘される。だが、脳を変えないと仕方がない部分が多く途方に暮れている。
これも特性なのかわからないが、期限が不明瞭な仕事が大嫌いである。現在、「駆け込み需要」で年末に大量注文が入った仕事に追われている。これに加え国内出荷とは別に海外出荷の商品の製造も同時に進めており、これらの猛威がいつまで続くかがわからない。その上出荷のペースも上がっている。これまでと同じ労力では回せないほどであり、現在僕の部署では働き方の改革や一層の技量向上を強いられている。正直しんどい。
だが今の仕事にそこまで思い入れもなく、必要以上に身を粉にして働きたいとも思っていない。転職も具体的には決まってないが、前向きに考えているほどである。そのため、自分の特性についてわざわざ会社に伝え、今のしんどい現状を緩和してもらおうとも思っていない。
だが、流石に定期的に通院で有給を取るので、先日直属の上司には自分のことを説明した。入社一年目にはわかっていた事実を、五年目にして少し解禁したのだ。上司が言うには、僕にそういう特性があることは全然考えたこともなく、雑な傾向があるなぁ、と感じる程度だったらしい。
入社一年目も今の部署とは所属が異なるが、毎日のように仕事が雑だと注意を受けていた。改良を試みてもなかなか成果を得られず、努力が実らない日々に違和感を抱き、WAIS-Ⅲという脳の検査を受けた。結果的に診断を出せるレベルの非定型発達が確認できたが、特にそれ以上何かをすることもなく「やはりな」くらいに留め、いつもの日常に戻った。最近になって再び、現状のしんどさと大きく関係している「障がい」について向き合いはじめたのだ。
ボディビル選手権を終えて
「キャリア3年なの?」
「そうなんです。 運動とは無縁で..、それまで独唱とか絵画とかやってて..」
「あ!それ絶対フリーのステージで生きるよ!」
(抜粋)
5分ほどではあるものの、須江さんとポージングについてお話ができた。幸せだった。
約15年前のMMJのムービー内での、宮畑会長とのポージングレッスンの様子を見ててもうかがえる須江さんの「魅せる」部分へのこだわり。実際にお話を伺ってもそのままだった。
というか今日、伝説の男の出待ちする人が居ないのは意外だった..。「伝説」がそこに居られたのに..。その分独り占めできました笑
国内のトップ選手だと須江選手や相澤隼人選手のフリーはめちゃめちゃ大好きで暇さえあれば何度も観てしまう。カメラが趣味の彼女も、音楽とうまく調和してる須江さんの演技はシャッターが切りやすかったと話すほど。
僕自身、フリーがなければ多分ボディビルのステージなんて立っていない..てくらいそれに魅力を感じてる。しかしながら昨日の夜、リー・ラブラダの演技を見ながら寝落ちして大会当日を迎えてしまったのは反省..。いやまぁ彼の演技も凄い..本当に。
チャンピオンの広瀬さん( @e4.5123 )とお話ししてて(優勝おめでとうございます!)、トレーニングが好きっていうのが前提でボディビルやフィジークに繋げる選手が多いのかなと感じた。どうにも僕は逆っぽい。ボディビルが好きだからトレーニングしてる感がある。ベンチやスクワットが好きって人をあまり理解できなかったのもそれですかね..。
2018年に徳島ボディビルを見て以降、自分なりに精一杯やってきましたが、真摯に向き合って取り組んでると自分自身に対して発見が多いですね。
6、7月と無事にボディビルデビューを終えれてひと段落。約7ヶ月の減量..きつかった。そして、自分自身との戦いとは言いつつも、人の支えがあってのボディビルですね。感謝の気持ちでいっぱいです。
大会運営に携われた方々、開催していただきありがとうございました。
長いこと書いてるけど、何書いてるかわからなくなってきました。ちょっと頭回ってないです。寝ます。
ボディビル選手権 大会5日前
今めちゃめちゃしんどい。
身体も心も。
2018年7月にボディビルと出会った。
経緯は、当時徳島県美術展に向けて制作していた絵画の取材に生の肉体を見るため、ボディビル選手権の会場に伺ったことだ。
アート作品を展覧会などで鑑賞するとき、「どのような方法で描かれてるのだろう」「どうやって展示してるのだろう」「どのような経験を作者はしてきたのだろう」などと考える。
初めてボディビルを見た時も一緒だった。
「どのようなことをしてこんな身体になったのだろう」「どれほどの苦労を積んだのだろう」
それらの肉体はアート作品だった。
ボディビルは一般的にスポーツ競技として扱われる。しかし、その時から僕にとっては、立体彫刻か現代アートか、なんにせよスポーツでなく、美術のひとつであった。
「どうやって..」とくれば、「僕にも出来るだろうか」と考えてしまう。
3年間、運動歴の無い文化系男は必死に取り組んでみた。僕自身をあのステージ上で展示できるように。
今猛烈に疲労感に悩まされてる。
ビルダーはすごいと改めて思った。
無事に展示できますように。
3.11と幽霊
思い出した頃に更新するこのブログ。
もはやブログと呼べる更新頻度ではない。
せっかく開いたので、唐突ながら永遠の疑問である「幽霊の有無」についてつづろうと思う。
東日本大震災から今日で10年が経った。
地震が発生した時、当時高校生の僕は所属していた合唱部の副部長として数週間後に控えていた定期演奏会の打ち合わせのためホールに足を運んでいたのを思い出す。
四国に住んでいた僕にとって、それはテレビの奥の災害であった。それでも自然の恐ろしさは、むごたらしい津波映像を通して痛感した。その場に自分が居合わせることを想像して泣いてしまう日もあった。
当時、震災により命を落とした人の体を洗浄する仕事が話題となった。とある姉妹の遺体を洗った男性が、その夜、自身の寝床に姉妹の霊が現れ、洗ってくれたお礼に歌を披露してくれたらしい。男性はその話を生き残った姉妹の母親にすると、実際生前によく歌っていた曲目だったらしく、とても驚いたらしい。
このエピソードを聞いて心温まるような気もするが、少しゾッとするような気もするなんとも変な感じがした。幽霊の存在を、僕は真っ向から肯定しないが、否定もしない。判断の基準を科学とするなら存在するはずもないし、一方で科学的な理屈で説明のつかない現象が起こってるのも事実ある。
そういったアバウトな存在に対して、いるかいないかを問われた時、ずるいかもしれないが「いるかもしれないし、いないかもしれない」と返している。
神様においても、実際いるかどうかよく問われているような気がする。絶妙な奇跡に遭遇した時は、神様はいると信じ、不幸なことが起きたり続いているときは神様がいないと感じてしまう。要は、その人の気分、思い込みで神様の有無を安易に操作できる。いる時もあれば、いない時もあるのだ。サンタさんのように、成長過程でいつの間にかいないことを理解するのではなく、生涯をかけているのかいないのか存在について悩むものもある。またその存在は人の精神的な部分と大きく関係しているのだ。
急な震災で人間関係が絶たれると、心が大きく動揺するのが当然である。甚大なことが起こってしまったのだから、せめて幽霊くらいいても構わないのではないかと僕は思う。幽霊でもいいからもう一度大切な人に会いたいと願う人もいる。その人において幽霊は存在する。幽霊だって存在したいだろう。
何を書いたのかよくわかってないが、ここまでにする。